ケースは壊れていても、中身のCDには傷ひとつ付いてはいなかった。
指先で拾い上げた綱吉は、途方に暮れていた。
感情は混沌と沸き出すままに溢れ、骸に殺されるならそれもいい、と思ってしまった。
「・・・ダメツナのまんまだよ、俺」
仲間が居て、守るべきファミリーが在る。弱いままの自分で居ていい筈が無い。
骸が自分に一線を引き、感情を見せてくれないのは、(それがただの勘違いだと、綱吉には直感的にも到底思えなかった、)マフィアである事も大きいだろうが、揺らいでばかりいる己に甘えきっているからだ、ときつく目を閉じる。
その瞳を開くと、CDのタイトルが目に飛び込んで来た。『Beyond The Missouri Sky』
sky——『空』という単語にはっとした綱吉は、急いでオーディオにセットし、再生する。
我慢していた嗚咽が止まらない。
涙腺が決壊し、雫は床でぱたぱたと音を立てた。
アコースティックギターとウッドベースだけのシンプルな旋律。
それなのに、空気を震わせる音が、綱吉の深い部分に何かを訴えかけてくる。
あまりに切なく、慈しんでならない故郷の空を、昔を、思い出さずにはいられなくなる。
ミズーリという場所なんて、綱吉は知らない。空の向こうに何があるのだって知らない。
何を思って、骸はこの音を選んで自分に与えたのか。
本当に憎んでいる相手に贈ると云うならば、こんな美しいものは、相応しくない。
この駄目過ぎで、卑小な自分が、それでも大空であるというならば、今の空のままであってはいけない。
「骸、ありがとう」
綱吉は袖口で涙を擦り、微笑んだ。
その日を境に綱吉は変わった。
かえって心配されたり、喜ばれたり、と反応はそれぞれだった。
食事もきちんと食べ、リボーンに弱音を吐く事も無く、懸命にボスとしての仕事を全うしている。
ただ、休憩時間は人払いをし、自室に籠って、音楽を聴く事が日課に加わっただけだ。
会議に於いて、部下や守護者達が、骸が姿を消した事を議題に上げたが、「喧嘩しちゃっただけだよ」と十代目ボンゴレが一蹴した為に、棚上げになっていた。
気晴らしの散歩も、自邸の庭くらいに留めていた。
そんな時は、クロームが側に居てくれた。それを綱吉が欲したからだ。
「クローム見て、あの桜。ヒバリさんが日本から持ち込んだらしいよ」
「・・・綺麗」
イタリアにも四季の移ろいはあり、庭に植えられ、咲かないだろうと言われた桜も見事に花びらを散らしていた。
「根に持ってるよなあ」クスクス笑い出す綱吉を、クロームは不思議そうに見つめる。
「ああ、ごめん。中学生の頃の話だよ」
「中学?」
「うん、その時は骸ってば嫌な敵でね。ヒバリさんが骸と桜のおかげでえらい目に遭ったんだ」
「えらい目・・・」
「そう。懐かしいな・・・」
綱吉は眩しそうに目を眇め、淡い桃色が風に舞う姿に見惚れていた。
その果敢無げな横顔が、今にも消えてしまいそうだと、桜よりも綺麗だと、クロームは思う。
「ボス・・・」
「クローム。明日の作戦には死者を最低限に抑えるのに、霧の幻術が必要だ。頼めるかな」
それは懇願では無く、命令だった。クロームは頷く。
振り返った綱吉は、弱さなど微塵も無い、イタリアマフィア最強のボンゴレのボスの顔だった。
クロームには、それが頼もしくもあり、少しだけ寂しくもあった。
「・・・骸様」
小さな呟きは、春の風が攫っていった。
「ねえ赤ん坊、アイツはいつまで逃げてるつもりなの?」
「アイツって誰だ」
綱吉とクロームが庭から出て行く姿を見遣りながら、雲雀恭弥は足下の雑草を踏みしめた。
「ムカつくパイナップルだよ。判ってるだろう」
「・・・ツナ以上に不器用だからな。お前だってそうだろヒバリ?桜はツナの為、なんじゃねえのか?」
黒衣のスーツ姿の赤ん坊はにやりと雲雀を見る。
「ちょっと。気持ち悪い事言うと、君でも咬み殺すよ」
「まあいいけどな。落ち着くもんは、どっかに収まるってのが世の常だ。周りがどうのこうの騒いだって仕方ねえ」
「かもね」
雲雀は桜を睨むと、大きなあくびをした。
今日は四人殺した。
綱吉は手のひらに目を落とし、自室の壁に凭れていた。いつものCDを流しながら、後悔の念が湧いていない自分をどこか遠くに感じていた。
雲雀は鬼神の如く戦場を舞い、獄寺や山本は我先にと、笹川は勿論、クロームでさえ、沢山の敵を殺している。
自分だけ手を汚さないのは狡いと、皆が止めるのも聴かず、戦闘の際、綱吉はいつでも最前線に身を置いた。決して死に急いでいるわけでは無い。
未だ子供のランボにだけは殺しはさせなかった。身勝手だとも思う。自分のエゴを満足させているだけだ。
それでも、綱吉は譲らなかった。
守りたかった。
何を?
たぶん、自分の芯とか、核みたいなものだと、綱吉は思う。
その芯がぶれないのは、きっと、————首を振り、音に浸る。半月も聴き続けているその音を。
壊れた時計。そして、カーテンから見える景色に時間の感覚を奪われていた。
そして、骸の声が、聴こえて来たのだった。