近頃の綱吉は、大層疲弊していた。
たかが中学生がこんな疲れ方をしていいものだろうか、と自室で唸り、諸悪の根源でもあるリボーンを半眼で見やる。
偉そうに足を組み、優雅な仕草でエスプレッソを啜っていた。自分のベッドの上で。更に云えば土足である。
「なんだ、ダメツナ?俺様に見蕩れてたか」
「...」
何かを言い返したならば、赤ん坊の可愛らしいあんよから痛烈な蹴りを喰らう事を学習している綱吉は、無言で片頬をひくつかせ、制服を身に纏う。
「今日も来るかもな」
リボーンはにやっと呟く。
「な、な、何がだよ!?」
瞬時に、嫌な汗が背中にざっと伝うのを綱吉は感じた。
こういう悪い予感、否、直感を外した事は残念ながら殆ど無い。便利なのか可哀想なのか、もはや自分でも判別がつかない能力ではあった。
「ああ?骸に決まってんだろーが。最近、来るんだろ?学校近くまで」
頭にドコンと蹴りが入る。
「!い、痛いって、リボーン!」
「あいつもワケ分かんねえな」
「お前が言うなよ!」
「ああん?」
「ヒィーーッ!」
リボーンのひと睨みに、綱吉は部屋の隅までお尻で後退した。すさまじい速さだった。
間違いなく尻までも、綱吉の身体能力はアップしている。
「おら、遅刻すんぞ。さっさと行け!」
それは、家庭教師が鬼のようにスパルタなのが、一番大きな原因だった。
「はあー、疲れた...」
授業が全て終わり、放課後の教室で綱吉は机に突っ伏した。
「どうなさいました、十代目!?どこか具合でも!?」
右腕と自ら云って憚らない獄寺は、綱吉に対して異常なほど敏感だった。
身体を傾け、整った顔が綱吉の間近に迫ってきている。
「うわっ、イヤイヤ、具合悪くないから!」
がばりと上半身を起こし、綱吉は仰け反った。
「ですが、目の下にうっすらとクマが...」
「ツナー?確かに、顔色悪いのな」
山本が爽やかな笑いを困った表情に変え、綱吉の元へと歩み寄る。
「てめえは早く部活行け!この野球馬鹿!」
歯を剥き出し、シッシッと山本を近づけまいと手で払う獄寺は、綱吉の右腕というよりは番犬に見える。
「ハハッ、獄寺、邪魔なのなー」
笑顔だが、容赦の無い一言で切り捨て、山本は綱吉の肩に腕を廻した。
「てめっ、いつもいつも十代目に馴れ馴れしいんだよ!」
「いつも煩いのはお前の方だろ?なー、ツナ」
「...アハ、アハハハ」
綱吉は事なかれ主義である。平穏、平凡が大好きな、ただの中学生である。
「...居る」
獄寺と二人、談笑しながらの帰宅路だった。
超直感など無くても、嫌でも視界に入ってくる個性的な人物の姿。
「十代目?...って、あ、あのヤロー!」
「ごきげんよう、ボンゴレ」
特徴的な髪型と瞳の色を持つ、他校の制服を着た男が道路脇の塀に凭れていた。
「骸、てめえ、また十代目のお身体を付け狙いやがって!...果たす!!」
「おやおや、駄犬はまたもやボムですか。それの相手は飽きました」
云うなり、骸の右目が一の文字を刻む。途端、獄寺が電柱に抱きついた。
目がハートマークにすらなっている。
「えー!獄寺君に、何見せちゃってるのー!?」
綱吉は、獄寺の異常な振る舞いに(慣れてはいたが)青ざめる。何しろ、まんまと幻術を食らっているのだ。
「知らない方がいい事って、きっと世の中には沢山ありますよ?」
クフと、骸が綱吉に視線を移す。
ガクガクと震えながら、綱吉は健気にも骸を睨み上げる。
「やめろよ、骸!」
「そうですねえ。今日一日、ボンゴレが僕につき合ったなら、考えないでもあげません」
どうします?とにこやかに口角を上げるが、綱吉にしてみれば恐怖が更に増すだけだ。
脇では、獄寺が電柱に熱心に愛を囁いている様子だった。イタリア語らしかったので綱吉に内容は不明だったが、どうみてもそういう類いの態度だった。
ちょっとだけ『気持ち悪い』と思ってしまったのは、心の内に閉まっておく。
「...分かった。今日だけだからな!」
半ば自棄気味に綱吉が答えると、骸の瞳が少しだけ見開いたが、それも刹那の事で綱吉は気づかない。
「では行きましょうか」と、クフクフ笑いながら腕を引かれ、綱吉はもはや後悔し始めており、やはりちょっとだけ、電柱と戯れている獄寺を恨んだ。
「どこ行くんだよ...」
眉間を顰め、身長差の為に仕方なく骸を見上げる。
「着いてからのお楽しみですよ、ボンゴレ」
「...ボンゴレって云うの、やめろよな」
骸の笑顔に、綱吉は少し反発した。
「ほう?」
「何度も言ってる様に、俺はマフィアになんてならないんだからな!」
綱吉の言葉を、骸はハッと鼻で笑い飛ばした。
「未来で、自分がマフィアのボスになっていたと知っても、まだそれを言うんですか?」
「み、未来は自分で作るものだろ?」
「...それは君みたいな流され体質の人間が云う台詞では無いと思いますが、まぁ、」
見遣ると、骸は少しだけ逡巡している風にも綱吉には見えた。
「綱吉君、とでも呼んでさしあげましょうか」
「え!!」
元敵(今もかもしれない)の口からそんな親しげに呼ばれると思っていなかった綱吉は動揺した。
「なんですか、気に入らないんですか」
早口の骸に、「いや、う、嬉しいけど...」と、染まった頬をぽりぽりと指で掻く。
「...じゃあ、いいんじゃあないですか?」
「う、うん。それでいい...」
二人の間に微妙な空気が漂った。