ひとりきり、屋敷の自室にこもって音楽を聴いている。
このCDは一体何度リピートされただろうかと、綱吉は豪奢な壁時計に目を遣る。だが、壊れている侭にしていたため、時を刻む役目を果たさなくなったのは半月も前だった事を思い出す。
何時間も壁にもたれた背中はそろそろ軋みを訴えていて、仕方ないなと腰を上げる。
分厚いカーテンを開けると、空は夜明け前みたいな色をしていた。若しくは雨上がりの夕方みたいな。
朝なんだか夕べなんだか、綱吉は頭がぐっちゃになる。
「とりあえず、消すか」
ぼそっと呟き、オーディオのリモコンに手を伸ばす。
「...え、なんで」
リモコンだとばかり思っていたそれは、トランシーバーに変化していた。
さっきまでちゃんと見慣れた、そして操作しなれたただのリモコンだった。けれども明らかにそれは別の物になっているし、大きさもちょっとだけ違う。
ゴツゴツとした真っ黒な機械の右上から、銀色の棒が飛び出ている。おそらく、それが受信するのに大事な部分なんだろう。
綱吉は、トランシーバーだと決め付けた所以でもある棒を、更に長く伸ばしてみた。
受信したいものなど無かった筈なのに。
『ガー、ピー、ピー..ブツブッ ガガーー』
「ノイズしか聴こえないのかな...」
綱吉は眉尻を下げ、オーディオの電源を手動でオフにした。そしてトランシーバーが発する音を注意深く聴こうと耳を寄せる。
『おや、音楽鑑賞は止めですか?』
聴こえて来たのは、忘れようも無い男の声だった。
「...やっぱり、お前の仕業なんだな」
『クフ、僕が差し上げたCDを聴いてくれていたんですね』
「たまたまだよ、骸。今、どこに居るんだ?」
『さあ。ボンゴレともあろう組織なら、直ぐに調べがつくのでは?若しくは貴方の超直感とやらで』
「...わからないから、俺は待つしかないんだよ」
窓の外に目を向け、綱吉は答える。
『ねえ、ボス。危険は何処にでも潜んでいるものですよ。カーテンは閉めなさい』
「近くに居るんだな」
『...まさか僕に会いたいのですか?守護者でありながら、君を犯した、この僕に。』
その言葉に、綱吉は唇をぎりと噛む。
「話を、したいんだ、骸」
『ほう?どんな話です?』
「...なあ、時計が止まったままなんだよ。お前が居なくなってから、俺の時間はぐちゃぐちゃだ」
『...綱吉君。僕はいつも傍に居ます』
「骸!お前はどうしたいんだよ!?何を考えてるんだよ!?」
『マフィアを殲滅したい。それだけですよ。ご存知でしょう?』
綱吉はイタリアのとある都市の街中を散策していた。身辺警護は骸である。
霧の守護者の幻術は、周囲の目を眩ませるに非常に便利であり、常に生命の危機と背中合わせの綱吉にとって、無くてはならないものとなっていた。
故に、仲間の為、嫌々であろう守護者の肩書きを担っている骸と歩く事を、罪悪感を持ちながらも綱吉は受け入れていた。
家庭教師であるリボーンに言われた事もあり、拒否する理由が見つからなかったし、必要でもあるのが事実だった。
綱吉は、マフィアのボスで居る時間に息が詰まり、それは限界近くまで達してしまっていた。
食事さえ口にする事も容易では無くなり、自分では無い他の誰かとして存在したかった。
屋敷から抜け出し、街並みを眺めでもしなければ、神経が焼き切れそうだった。
始め、右腕の獄寺などが、外を歩くのは危ないと反対し、自分が着いて行くと譲らなかった。
けれども、骸の一言で皆が黙った。
「僕であれば、ボンゴレのボスと判らないよう、術をかけられますが?」
「...そうだな、ダメツナも限界みてえだしな。お前に任せるか、骸」
リボーンが頷くのに、他の守護者達はいい顔をしなかった。だが、適任なのは誰から見ても明かだった。
「...じゃあ、ごめん。骸、頼んでもいい?」
綱吉は両方の眉を八の字に下げ、オッドアイを窺う。
「かまいません」
答える怜悧な顔に、表情は無かった。
「ごめんな、骸。毎度、散歩に付き合わせちゃって」
いつものように幻術により、気配さえ消した二人は畳敷きの街をただ歩いている。
お互いの姿や景色、周囲の人々が見えていても、あちら側からは微かに薄い霧が見える程度だ。
「本当にそう思うのなら、その惰弱な精神を鍛えては如何です?」
綱吉は人々の営みを眺め、『普通』と呼ばれるであろう日常というものの穏やかさに頬を綻ばせていた。
その口元が骸の言葉によって、ひくりと震えた。
「...解ってるよ」
「解っている?ならば、さっさとその甘さを捨てなさい。貴方はマフィアのボスだ」
「...甘さなんて、」口籠った綱吉に、骸は容赦無く言葉を続ける。
「先日同盟ファミリーを裏切った男。それを庇って自らの立場を危うくした。まだ未成年の貴方がボスでは、些細なミスさえ命取りになる。それがマフィアです」
左右で色の違う目は、綱吉には向けられておらず、ただ前を睨んでいる。
「うん、...そうだよな、って、あ!あれ、レコード屋さん!」
古ぼけた木の扉で出来た店を見つけ、綱吉は指をさす。
「音楽の趣味なんてあったんですか?」
やれやれと溜め息を吐きながら骸が訊く。
「ん?無いけど、...あったらいいかもって、」
「...ここに居て下さい。CDでいいですね?」
「え、ちょっ、」
綱吉が惚けている間も無く、己の幻術を解くと共に、骸が店の中に消えて行く。
そして、直ぐに戻り、綱吉にレコード屋のマークがついている包みを押し付けた。
「貴方の好みなどどうでもいいので、勝手に選びました」
突き放す様に告げる長身を見上げ、綱吉は苦笑した。
「あ、ありがと」
「どう致しまして」
少しだけ心が温かくなった気がした綱吉は、知らず微笑んでいた。
包みを抱き、気を緩めて呟いた。
もしかしたら、共に歩く骸に慣れ、緩みきっていたのかもしれなかった。
「骸って、優しいし、心配性なんだな」
途端、骸のオッドアイが鋭い光を点し、綱吉を射抜いた。
「心配?正気ですか?ハッ!いい加減に、君は...」
「え、だって、俺は本当にそう思ったから、骸は優しいよ!」
「...戯言はそれくらいにして欲しいです、ね!」
「むく、ッツ!?」
ダン!!と民家の壁に凄まじい力で叩きつけられ、綱吉は痛みに顔を顰めた。
「僕が君の心配?嗤わせる。何か勘違いしていませんか?ボンゴレ」
「...むく、ろ?」
骸は綱吉の顔の両側に手をつき、整った顔を間近で歪めた。蛇蝎を見る如き眼で見下ろしている。
「僕は君の傀儡になった覚えは一度も無い。」
口角を上げながらも鬱蒼とした様子に、綱吉は全身から血が引いてゆくのを感じる。
「か、いらい?骸、なにを、」
「黙れ」
脳がキーンと鳴り響く。
琥珀色の綱吉の瞳が大きく見開かれたと同時に、纏っていたシャツが引き裂かれ、手にしていた包みがパサリと足下へ落ちた。
「君の言う優しさだかを、解らせてあげます」