綱吉の視界に最初に入って来たのは、見慣れた自室の天井だった。
だが、下半身がじくじくと痛みを訴えていて、やはり現実なんだ、と小さく息を吐く。
同時に気配を感じ、頭だけをそろりと横に倒し、虚ろな瞳をそこへ向ける。
「…骸。」
痩せた長身を扉に凭れ掛け、腕を組んで、オッドアイが綱吉を見ていた。
「着替えを、勝手にさせて貰いました」
淡々と告げる言葉に、自分の身体にうろんな視線を遣る。パジャマを着せられていた。
「簡単に身体も清めたので、そのまま寝た方がいい。かなり痛むでしょう?」
けれど、綱吉にはそんなものはどうだって良かった。
「…他に、言うことは無いのか?」
再び天井を向き、低い声で呟く。
「何が聴きたいんです、ボス?反省の言葉でも欲しいんですか?」
ベッドサイドまで歩み寄り、骸は綱吉を見下ろした。
咄嗟に顔を背けた綱吉は思う。
骸は、どんな顔をしてそんな台詞を吐いているのか。
ざわめく涙腺を叱咤して、決して泣くものかと唇を噛んだ。
「骸、本当に、俺を傷つけたかっただけか?」
「マフィアを憎む僕に、他にどんな理由があると?」
「・・・」
「たかがセックスですがね。貴方には効果覿面でしょう。何しろ、誰あろう、守護者に犯されたんですから」
失笑さえこぼした骸に、とうとう綱吉は激昂した。
「…俺の、俺の名前を呼んだくせに!あんな顔を見せたくせに!」
半身を起こし、怒鳴った拍子に涙がこぼれる。
「…気のせいじゃないですか?」
肩を竦め、骸は微笑む。
「まあ、僕の顔など見たくも無いでしょうから、今後はクロームに守護者の役割を任せますよ。僕の本体も未だ水の中ですしね。無駄な力を使わずに済んで、精々します。」
「…逃げるんだな」
拳を握りしめ、綱吉は骸を真っ直ぐに見た。
琥珀色の瞳からは、滴がはらはらと流れ落ち、頬をしとどに濡らしている。
「逃げる?おかしな事を言いますね。…君を乗っ取るにはまだ早い。そう判断したまでです。もっと強くなって下さいよ。そうでなければ、」
「骸、」
言葉を制した綱吉は、骸の腕に手を伸ばした。
それに気が付きながらも、骸は反応出来ずにいる。目を見開きながら、指の届く先を見届けてしまう形になってしまう。
「…お前の言葉の、嘘と真実は、俺が勝手に見極める」
手袋の上から手のひらを握りしめた。
「な、にを!」
バッと手を振りほどこうとするが、存外に強い力がそれを許さない。しかも綱吉の力は更に強まり、動揺をあらわにしてしまった事実に、骸は顔を歪める。
「…骸、俺は、お前以外にあんな事をされたら、その場で舌を噛み切ってたと思うよ。」
ぽつりと呟かれた言葉の意味を反芻するのに、数秒かかった。
「…自分が、何を口にしてるか自覚してるのか!」
自由だった方の腕を、綱吉のみぞおちに叩き込む。
「グハッ!」
「君の甘ったれた思考回路には反吐が出る!ここで殺したって、僕は構わないんですよ」
殴られた衝撃で、掴んでいた骸の手が離れ、その手には今は三叉の槍が握られている。
「…なあ、CDはどうした?お前が、俺に買ってくれた」
「…危機感はゼロですか?それとも只の脅しだと、僕を馬鹿にしているつもりですか?」
綱吉は諦めた表情で首を振った。骸は鬼気迫る空気を纏ったままだ。
「お前の殺気は本物だよ、骸。死ぬ前に音楽くらい聴いたってバチは当たらないだろ?」
「僕と殺し合う気概すら無い、と?」
「なんか、疲れたんだ。もう、腹の探り合いみたいなのは、うんざりだ。お前が嫌うマフィアで居るのも、もう、いい」
そう発した唇が、噛み付かれる様に塞がれた。
目を見開き、微動だに出来ない綱吉は口の中に入ってくる舌に、されるがままになる。
「ふ、…む、く」
いつの間にか両頬を柔らかく手のひらに包み込まれ、けれど綱吉の咥内は荒々しいくらいに貪られていた。
熱の籠った視線までもが、二人の間に絡んでいた。
「っ、」
透明な糸を引き、濡れた唇が離れる。
「…む、く」
「ご所望のCDをどうぞ、ボス。」
何事も無かったかのように、骸は目を伏せ、床に落ちていたそれを拾い、綱吉に手渡す。
そして踵を返し、一瞥も与える事無く、部屋から掻き消えた。
霧そのものの様に。
綱吉は暫く放心したまま、骸の残り香みたいなものを感じていた。
そんな自分が遣る瀬なく、手に残された四角いケースを、壁に向かって投げつけた。
ガシャンと音がし、壁時計にぶつかる。
針の部分に当たったみたいだったが、それは些末事でしか無く、綱吉には嗚咽を堪える事しか出来なかった。
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